NIGOが影響を与えた5人のデザイナー・アーティスト
現在50歳のNIGO(ニゴー)は、日本国内でTシャツの小規模な販売から始まり、1993年には裏原宿系ファッションの先駆的ブランドであるBAPEを立ち上げ、現在では他にもHUMAN MADE(ヒューマンメイド)など多くのブランドに携わる。
ファッション以外にもTERIYAKI BOYZのプロデューサーなど幅広く活躍する彼について仲間達は、「カルチャーの神様」「テイストとデザインの巨匠」「予言者」などと崇める。
今回は、そんなNIGOに影響を受けたファッションデザイナー・アーティスト・ラッパーをご紹介します。
【目次】
1 YOON
2 VERBAL
3 Don C
4 Futura
5 Pusha-T
1 YOON
Yoon Ahn(ユン・アン)とNIGOの出会いは、彼女が夫のVERBALと引っ越した2003年頃だった。
その頃すでにNIGOと友人関係にあったVERBALを通してNIGOと出会ったのだ。
すると05〜07年頃には、NIGOがファレルとやっていたBillionaire Boys ClubのPRのサポートを任され、2010年から2011年まで2シーズンにわたってBapeのレディースラインのデザインを任された。
何が上手くいくのか、いかにして新しいものをコレクションに落とし込むかなど全ての過程を学んだと語る。
そして、ユン氏がNIGOから学んだ中で一番大きいのは、いかにして自分自身を投影するかということだったと言う。
それらの経験はユン氏がバーバル氏と率いるAMBUSH(アンブッシュ)にも間違いなく影響している。
2 VERBAL
VERBAL(バーバル)は、TERIYAKI BOYZでチームメイトになる前から、もっと言えば直接会う前から、NIGOを「裏原宿系」のブームの火付け役として認識していた。
VERBAL氏は、日用品でも文化的背景やデザインを通してはるかに特別なものになりうることを、NIGO氏を近くで見ていて学んだと言う。
NIGO氏のつけていたスポンジボブのチェーンや「$」マークの巨大なネックレスを見たときも、AMBUSHはより実験的なアプローチをとらないといけないと思ったのだとか。
「NIGOは我々の文化を象徴する人物だ。市場に媚を売らない彼のやり方が好きだし、コミュニティの中で多分誰よりも尊敬しているよ。」そう語るのはストリートウェアデザイナーのDon C(ドンクローリー)。
NIGO以降の全員が、直接的にしろ、間接的にしろ、何らかの形で彼に影響を受けているとドンクローリーは言う。
Don CがOff-Whiteのヴァージル・アブローと共同で手がけるセレクトショップ・RSVP GalleryもかなりNIGOから影響を受けているのだとか。
4 Futura
グラフィックアート界の巨匠・Futura(フューチュラ)もNIGOに影響を受けた人物の一人。
1997年に、NIGOがTシャツを圧縮してスプレー缶の中に入れて販売するという提案を持ちかけてきたとき、フューチュラはそのアイデアが今まで聞いた中で一番かっこいいと感じたのだとか。
そして、フューチュラともう一人の伝説的グラフィックアーティスト・STASH(スタッシュ)の二人がそれぞれでスプレー缶をデザインし、実際に二人のバージョンがリリースされた。
フューチュラからしてもNIGOはかなり時代をリードしていたようで、彼らの時代で最も影響力のある50人のうちの一人だと言う。
5 Pusha-T
NIGOを「テイストとデザインの巨匠」と呼ぶのは、USのラッパー・Pusha-T(プッシャーティー)で、NIGOとはJacob & Co.(ジェイコブ)の創設者・Jacob Arabo(ジェイコブ・アラボ)を介して知り合った。
NIGOは完璧主義者であり、ディティールへの配慮・テイストのレベルの高さは衝撃的で、プッシャーティーにとって、時代を先行するということの本当の意味を知った瞬間だったという。
彼のキャリアの中でもかなりのビッグイベントだったに違いない。
いかがでしたでしょうか。日本が世界に誇るファッションデザイナー兼音楽プロデューサーのNIGOが影響を与えたデザイナーやアーティストをご紹介しました。
彼の今後の動きにも世界中から注目が集まります。
MINARI.(ミナリ)は情報の質にこだわり、記事の執筆に時間をかけて丁寧に行っています。他の記事もぜひ合わせてお楽しみ下さい。