【ブランドの歴史】ノースフェイスはなぜストリートに浸透したのか

ノースフェイスがストリートシーンに浸透したきっかけとなったのが、ノースフェイスのSTEEP TECH(スティープテック)

スティープテックは、命知らずのフリースキーヤーたちのニーズを満たすためにデザインされたのだが、そのユニークな見た目が都市に住む人々にウケた。

今回は、そのスティープテックが、ノースフェイスのストリートシーンにおけるカルト的人気を構築するまでのストーリーをご紹介します。

 【目次】
1 「ノースフェイスはファッションじゃないの」
2 従来のスキーウェアは理想的ではなかった
3 スティープテックの初期は批判の嵐
4 スキー場でのステータスシンボルに
5 Wu-Tang ClanのMVに登場
6 売り上げは全体の2%でもブランドに必要だった
7 スティープテックの復活
8 様々なブランドとのコラボ

1 「ノースフェイスはファッションじゃないの」

フリースキー界のレジェンドであるスコット・シュミットは、1980年代後半に、ノースフェイス本部に自身のスキーウェアラインを売り込みに行った。

彼が持ってきたスキーウェアは、当時のスキーアパレルでは滅多に使わないコーデュラという生地で大幅に補強され、膝・肩・肘はプラスチックのパッドで覆われていた。

ノースフェイスのチームにとって今まで見たことも考えたこともないようなデザインであり、「あのね、ノースフェイスはファッションじゃないってことを理解していないようね」と発言したプロダクトデザイナーすらいた。

デザイナーも「この製品は複雑すぎる。ポケットも機能も多すぎる。とても作れるとは思えない。」と言い続けていたのだとか。

2 従来のスキーウェアは理想的ではなかった

スコット・シュミットにとって80年代のノースフェイスのスキーウェアは、本格的に山スキーをしている人たちにとっては理想的ではなかった

シュミットは特に、危険なエリアを滑っていたためもっと頑丈なウェアが必要だったと言う。

シュミットの親友であるデイヴ・ワックスは、当時ナイキで勤務していたのだが、シュミットがスキー界のマイケル・ジョーダンになれると思っていたので、彼がスキーウェアをデザインしていると知った時ビジネスチャンスだと思ったと言う。

そしてワックスはスティープテックの絵コンテ・コンセプト・サンプル製作を手伝った。

3 スティープテックの初期は批判の嵐

スティープテックは、当時世界で最も人気なスキー選手の一人であるシュミットの影響力を持ってしても、最初はなかなか売れなかったし、市場に出たときには、最初のミーティングから4年が経っていた。

ノースフェイスがそれまでに製作してきたどのアイテムにも似つかないスティープテックは、社内の純正主義者や懐疑主義者からかなりの批判を浴びた。

4 スキー場でのステータスシンボルに

「作るのが難しい部品がたくさんあったし、挑戦だったね。スコットの理想通りに、そして最高レベルの機能性を伝えるために、我々は本当に一生懸命取り組んで、最初から最後までコンセプトの統一性を保つ必要があった。」そう語ったのは、当時のスキーウェア部門のディレクター。

そして、スティープテックが1991年に店頭に並ぶようになった時、ノースフェイスの商品の中で一番高価だったので、すぐにアメリカのスキー場でステータスシンボルとなった。

スティープテックラインはヒットし、すぐに売り上げは伸びていったのだ。

5 Wu-Tang ClanのMVに登場

YouTubeより

スティープテックの実用的な見た目と高級志向な魅力は90年代にニューヨークのストリートで浸透していった。

Wu-Tang Clan(ウータン・クラン)の『Method Man』や、Black Rob(ブラック・ロブ)の『Whoa!』のMVでも登場した。

90年代のヌプシジャケットには売り上げは敵わなかったものの、ニューヨークのラッパーやグラフティライター達の間ではスティープテックの格好いい見た目と機能性が好評だった。

6 売り上げは全体の2%でもブランドに必要だった

シュミットは1998年まで毎年、本来のコンセプトを拡張した新しいデザインをリリースし続けた。

しかし、スティープテックはスキー業界ではお祭り騒ぎだったものの、ノースフェイスの比較的安価な他のアイテムと比べると、あまり売れなかったし、売り上げは全体の2%しかなかった。

それでもノースフェイスがスティープテックを作り続けたのは、そういった高級志向のアイテムがブランドの成長に必要だったからだと、90年代の東海岸の販売担当重役であったビル・ブラウンは語った。

7 スティープテックの復活

ブラウンは、アウトドアブランドがストリートで成功しうると気づいていた最初の従業員だった。

そして、シュミットの許可を得て、1998年に終了していたスティープテックラインを2000年に再リリースし、2000年から2007年にかけて数十億円の売り上げを叩き出した。

下火になっていたノースフェイスがスティープテックを再発売した時人々は、「ノースフェイスが帰ってきた」と口を揃えて言った。

8 様々なブランドとのコラボ

出典:maisonmargiela.com

2007年のシュプリームとのコラボレーション以降、マルジェラなどのハイブランドやストリートブランド、ファッションデザイナーと頻繁にコラボしている。

また、ドレイクトラヴィス・スコットなどのラッパーもスティープテックを好んでいる。

スティープテックの最も偉大な功績は、ストリートウェア愛好家でノースフェイスの地位を確固たるものにしたことだろう。

いかがでしたでしょうか。今回は、ノースフェイスがストリートの定番になるまでの話をご紹介しました。

ノースフェイスの今後の新作アイテムやコラボレーションにも要注目だ。

MINARI.(ミナリ)は情報の質にこだわり、記事の執筆に時間をかけて丁寧に行っています。他の記事もぜひ合わせてお楽しみ下さい。

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