ヴァージルアブローの軌跡 | ヒップホップとラグジュアリーファッションを繋いだ男
「ストリートウェアは安っぽく見られている。私が目指してきたのは、そこに知的なレイヤーを加えて、信頼できるものにすることです。」
これは2021年11月28日に41歳の若さで亡くなったデザイナーVirgil Abloh(ヴァージルアブロー)氏が生前のインタビューで放った言葉であり、彼はこの言葉通り、ストリートウェアとラグジュアリーの垣根を壊し、ストリートブランドの新たな地位を確立した。
今回は、ファッションに変革をもたらしたデザイナー・ヴァージルアブローを讃えて、彼の魅力を振り返ろう。
【目次】
1 ヒップホップを愛したヴァージルアブロー
2 最初のファッションブランドPyrex Vision
3 カニエウエストとの「真の友情」
4 ヒップホップに愛されたヴァージルアブロー
1 ヒップホップを愛したヴァージルアブロー
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「電話がオフの時は、自分のために好きな曲を大音量でかける」。
「デザインや他のことが終わったら、DJをするだろう。」
ヴァージルアブローが残した言葉であり、ヒップホップは彼のクリエイティヴに不可欠なものであった。
ルイヴィトンのコレクション制作中にはPop SmokeとGriseldaを交互に聴き、コレクション当日には二人をショーの最前列に招待した。
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シカゴ出身のヴァージルアブローは、1998年にDJを初めており、自身が「ボトルを売っているクラブでトラヴィス・スコットをプレイした最初の子供たちの一人」であることを自慢している。
私たち同様、ヴァージルアブローも純粋なヘッズなのだ。
2 最初のファッションブランドPyrex Vision
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ヴァージルアブローの伝説は、OFF-WHITEの前進となる最初のファッションブランドPyrex Vision(パイレックスヴィジョン)にて始まった。
元々、2012年に動画プロジェクトとして始動したPyrex Visionは、そのハイエンドなルックが話題を集め、パリのセレクトショップColetteなどで取り扱いが始まり本格的にブランドとなった。
当時、ASAP Rocky、Kanye WestといったラッパーたちがMVやライブで着ていたことでこのブランドを知った方も多いのではないだろうか。
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ヴァージルアブローを語る上で欠かせないのがカニエウエストの存在。
大学卒業後、建築関係の会社に就いたヴァージルアブローは、同じくシカゴ出身のラッパーであるカニエウエストとFENDIのインターンにて出会う。
ヴァージルアブローのセンスに確信を持ったカニエウエストは、ツアーのマーチや衣装などのデザインをヴァージルアブローに任せた。
カニエの横にはいつもヴァージルアブローがいると言われたほど、カニエはヴァージルアブローに絶大な信頼を寄せていた。
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そして、OFF-WHITEで大成功を収めたヴァージルアブローは2018年にルイヴィトンのメンズウェアデザイナーに抜擢され、最初のコレクションのショーには勿論、カニエウエストが同席した。
ショーが無事終了すると、ヴァージルアブローは真っ先にカニエウエストの元へ行き、二人は抱擁を交わした。
この時、苦楽を共にしてきた二人が見せた「男泣き」は世界一クールなものであっただろう。
4 ヒップホップに愛されたヴァージルアブロー
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ヒップホップを愛したヴァージルアブローは、ヒップホップに愛されていた。
ラッパーでありプロデューサーでもあるファレル・ウィリアムスは、ヴァージルアブローを「創造的な天才」と呼び、タイラー・ザ・クリエイターは「みんなのチアリーダー」と称し、「ドアを開け、人々を中に導き、次の人が持てるように鍵を外に投げた」としてヴァージルアブローを讃えた。
ヴァージルの死の前後に世界中から語られた優しい言葉は、ヴァージルアブローが多くのアーティストたちに愛される偉大なデザイナーであったことを物語っている。
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『You can do it too.(君にもできるよ)』
これはルイヴィトンのコレクションを終えヴァージルが残した言葉。
MINARI.のスタッフ一同、ヴァージルアブロー氏のご冥福を心よりお祈りします。